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龍之巣
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なぜBDSMは日本とドイツで盛んなのか?
掲題の通りですが・・・

このブログが停止したり、検索から除外された場合、今回の記事に不都合な真実が含まれている可能性があります。(と大げさに書いてみます)

現在、書きかけですが、編集しつつ公開していますので、この記事に興味を持たれた方は時々ブラウザの更新ボタンを押してみて下さい。

 最近、なぜBDSMが日本とドイツで盛んなのか?を考える様に成りました。アメリカでも盛んと云われていますが、アメリカに住んでいた経験の有る私(龍)は、そういった物を目にする機会が非常に少なく、非常に限定的な地域や人々のみではないかと感じていました(ぐるっと大陸を一周しながらでしたので州の数で言えば半分以上、大都市は全て滞在した経験があります)。

 ドイツでの戦後の風俗は私(龍)は全く知りませんし調べてもいませんが、それを知る機会を逃した事があるのも事実です。これから少しづつ調べて追記してゆこうと思います。

 それはさておき、本邦に於いては戦後間もないポツダム宣言受諾の2年後という非常に混沌とした時代に、GHQ占領下の日本で奇譚クラブが産声をあげました。当時、全ての出版物はGHQにより内密に検閲(検閲している事を悟られない様に検閲する事を重視)されており、戦前の政策を肯定する言論は封殺され、同時に平行して贖罪意識を植え込む為の多数の広報活動(その具体例1具体例2)が行われていました。この事は当時は最高機密とされていましたが現在は国会図書館にて閲覧可能な命令書(JCS1380/6SCAPIN-16SCAPIN-33)などの文章(かつ、これは氷山の一角)に残されています。
 従って当時の奇譚クラブの内容も(読者に悟られない様に)GHQによって検閲を受け、占領軍に好意的かつ戦前の文化を否定する方向に誘導されています(当時は、その状態が『表現の自由』とされており、当時の憲法にも検閲の禁止が条文化されていますが、実態は既に書いた通りです。当時検閲を受けた雑誌は日本国内だけで1万3千種あり、この資料が戦後メリーランド大学に資料として保管されていた事が知られています)。
 占領軍による検閲の事実は、プレスコード郵便物に対する検閲を終了させる法律などからも明らかです。

 
否定の方法は直接否定するのではなく、性風俗と絡めて別の方向に誘導する事が効果的な手法(3S政策:Screen/Sports/SEXのうちのSEX)とされており、例えば奇譚クラブに当時掲載された『貞操特攻隊の悲劇』の様な判り易いタイトルのものまであります。これは不都合な人を社会的に抹殺する際の手法の一つ(性犯罪者に仕立てて吊るし上げる)と類似している事からも判りますし、慰安○問題からも同様の傾向を感じとる事が出来るでしょう。

 こういった手法は、当時のAP通信社編集局長Byron Price(1891–1981)が主導的立場と成って世界規模の情報統制(検閲とプロパガンダ)に関する枠組みを作り、具体的手法は、当時スタンフォード大学教授で洗脳・催眠の専門家・第一人者であったErnest Ropiequet Hilgard (1904-2001)が日本に召喚されていますが、彼によって考案された一連の贖罪洗脳プログラムの一つ、つまり、戦争の責任は全て日本人にあり、日本人は再発防止に努めるのみでなく、同時に罪を償わなければいけない=具体的には賠償金を恒久的に支払い続けなければいけないという意識付け・動機付け・方向付けの一つになっていた様です。

 その後、GHQによる占領は昭和27年4月末日まで続きましたが、この月はちょうど奇譚クラブのB5版の最終月で、サンフランシスコ講和条約の発効と同時に奇譚クラブはA5版へと移行しSMへの傾倒が加速、同時にしばらくの間は戦争と性風俗を絡めた話題が継続しています(戦争の話題はすこしづつ紙面から減ってゆき構成全体がSMに塗り替えられてゆきます)。

 そして、売名行為ではないか?とさえ思えるタイミング(半年後、2年後、3年後)に発禁処分(前者2回は発売頒布禁止処分、後者は発行禁止処分)を受けて一旦休刊しますが、出版社を替えて白表紙時代に突入し有名な『家畜人ヤプー』が紙面に登場します。この『家畜人ヤプー』は三島由紀夫が評価した事が喧伝された為に有名に成りました(理由は後述)、『家畜人ヤプー』の世界観は別の記事で既に書いていますが、視点を変えると白人が絶対的存在であり日本人は遺伝子レベルで家畜という設定の世界で、その点に付いて非常に詳細な記述が有りますが、日本が二次大戦に突入したのは(白人社会からの)植民地化・奴隷化を回避する為ですし、日本が連合国から離脱した理由は日本が提案した(白人絶対視の)人種差別撤廃案が否決された為ですが、これらの時代背景を真正面から否定する設定の世界観に成っている事が特徴と言えます。加えて女性上位である事も特徴と言えますが、つまり男の強さ(具体的には武力)は女によって抑止されるべきとする内容で、これをマゾだからという名の下に肯定して公開しています。

 三島由紀夫曰く「この小説で感心するのは、前提が一つ与えられたら、世界は変るんだということを証明している。普通にいわれるマゾヒズムというのは、屈辱が快楽だという前提が一つ与えられたら、そこから何かがすべり出す。すべり出したら、それが全世界を被う体系になっちゃう。そして、その理論体系に誰も抵抗できなくなってしまう。もう政治も経済も文学も道徳も、みんなそれに包み込まれちゃう。そのおそろしさをあの小説は書いているんだよ。」と、その恐ろしさを三島由紀夫の様に明確に感じ取って読める人がどれ程いるのだろうか・・・

 この様にして戦後日本におけるSMの基礎を作った奇譚クラブが誕生し30年に及ぶ長きに渡って出版され続け、そこから巣立った人々によって日本のSM界が構築されたと言っても過言ではないでしょう。いや、その通りでしょう。恐らく・・・つまり奇譚クラブの成功がBDSMが日本で盛んになった理由でもあると思う訳ですが、では、同時に出版されていた数あるカストリ誌が消え行く中、どうして奇譚クラブが存続出来たのか?、出版社を3度変え(それだけ会社を潰し)ながら出版し続けたその異様とも思える圧倒的な企業体力は何処から来たのか?その体力の源泉となったもの(つまり、吉田稔=株で儲けた・・・)が、どこまで真実で、どこからが別の源泉なのか?を探求する事で、誰が日本にSMを仕掛けたのか明白に成ると思います。二次的には須磨利之である事はほぼ確実と言えそうですが、須磨利之に強力な動機付けと体力=(直接又は間接的に)資金提供していた人物・組織が特定出来れば日本にSMを仕掛けた意図も明白に成るでしょう。彼は元薩摩藩士の家柄で大正生まれ京都在住(家族が維新後京都に移住)という事からも何らかの政治的な繋がりを匂わせています。しかし、或いは彼が心底SMに入れ込んで、経済的なものは二の次だったのかもしれません。そこに共感する読者や視聴者が大勢居た事が、つまりは資金提供という形に成ったのかもしれません。

 また、吉田稔から奇譚クラブを受け継いだ賀山茂は、同名の雑誌では成功とは言い難い状況で収束していますが、同じく奇譚クラブを冠した一連のSMビデオシリーズで一定の成功を収めており、その本数で他のSMビデオを圧倒している事も特徴と言えそうです。経営的な視点で見れば雑誌からビデオに転向しているのは時代の流れにそったものとも言えそうです。また、賀山茂の賀茂氏とのつながりも少し気に成っています(偶然、字が似ているだけかもしれませんが、意識して命名されている様に思います)。

 ところで、掲題に有ります通り、ドイツでBDSMが盛んになった理由も探求してゆきたい訳ですが、現時点では、戦時体制下に於ける抑圧と敗戦による(検閲された)開放というプロセスが両国で起きた事が要因ではないか?と思っています。ドイツの場合は御存知の通り東西分裂(ドイツ人自身は東西分裂とは言いませんが)状態が長く続いた事が、どの様にSMに関係しているか(もしくは関係していないか?)も含め調べてみたいと思います。

 東ドイツの性科学研究所という国家機関が日本の「奇譚クラブ」を性文献資料として収集していたという情報を得ました。これが事実なら、この事と、ドイツでBDSMが盛んな事が関係しているかもしれませんね。
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コメント
三島由紀夫の評価
こんにちは。

『ヤプー』について、「連載が続くに連れて三島由紀夫の評価が一変し酷評されている」という箇所が気になりました。
奥野健男が最初の単行本のあとがきにそのようなことを書いたため、今でもそれを信じている人が多いのですが、この件に関しては三島自身が『潮』誌での寺山修司との対談で明確に否定しています。

検索してみましたら、こちらのサイト(↓)に対談の抜粋が引用されていました。
ttp://yakenn2002.seesaa.net/article/169984128.html
2013/06/30(日) 07:47:29 | URL | esme #zxJvsWF.[ 編集 ]
Re: 三島由紀夫の評価
esme様、こんにちは。
コメント有難う御座います。

> 『ヤプー』について、「連載が続くに連れて三島由紀夫の評価が一変し酷評されている」という
> この件に関しては三島自身が『潮』誌での寺山修司との対談で明確に否定しています。

そうですね、この『潮』の記事も読んだ事が有るのですが、記憶が跳んでいました・・・

私は、三島由紀夫氏が割腹自殺した市谷駐屯地のその場で仕事をしていた(つまり自衛官だった) 事があり、その縁で三島由紀夫に付いて色々調べていた時期が有り、その際に読んでいたと思います。
esme様に指摘されて記憶が蘇りました。
否定を否定で覆して記憶が錯綜していたのだと思います。今でもですが・・・

全くの余談ですが、市谷駐屯地は陸上自衛隊と思われがちですが、陸海空が揃っており、 女性隊員や昔の軍属にあたる人々も多く、通常の駐屯地とは一風変わった施設に成っています。
市谷駐屯地には名物おばさんが居て、すれ違う自衛官には階級に関係なく毎回立ち止まって敬礼(脱帽時の敬礼に相当する、お辞儀)をしていました。
自衛官ではない彼女には敬礼の義務がありませんが、自ら率先して敬礼をしていた訳です。
大勢の自衛官が行き来する市谷駐屯地ですから、毎回立ち止まっていては全く前に進めないのですが、それでも欠かさず全ての自衛官に敬礼をしていました。
私も何度か敬礼をされましたが、こちらの方が恐縮してしまう程に凛としていたのを覚えています。
2013/07/03(水) 12:09:04 | URL | 龍(RYU) #-[ 編集 ]
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